前奏曲〜プレリュード〜
「は?」
少女が開口一番に発した言葉はそれだった。口はポッカリと開けられ、目は見開かれている。その視線の先には―――
「『は?』じゃなくて、スカウトに来たって言ったでしょ?ス・カ・ウ・トにね」
青と白の四つ角の帽子、白地に裾がギザギザの短いマント、その下には大きな燕尾の青いジャケット、首に下がっているのは先端に青い宝石のようなものが1対付いた変わった首飾り。そしてその独自の雰囲気を強調するかのような短い銀髪に深い青の瞳。どう考えても普通じゃありえない格好。しかしもっとありえないのが・・・
「スカウトもなにも、あなた何で宙に浮いてんのよー!!!」
少女が今いるのは二階建て住宅の二階の部屋。その窓の外に風変わりな少年は立っていた。もとい、浮いていたのだった。
「え?君なら慣れてると思ったんだけどな。見たこと無かったかな、こうやって浮いてるのって?」
「幽霊ならともかく、こんな実体はっきりありますっていってるようなくらい、よーく見える存在なんて普通ありえないじゃない・・・それとも、やっぱりあなたも幽霊?」
ギュッと両の手を握り締め、再度少年をじろじろと見る。やっぱりおかしい。
「ひどいな、オレは自然王の補佐の一人で名はカシル。君くらいの霊力を持った子ならオレみたいの見慣れてると思ったんだけど・・・ごめん、驚かしちゃったね」
カシルと名乗る少年は今度は申し訳無さそうに謝ってきた。素直に謝られては騒ぎまくっていた自分の方が悪いことをしたように感じてしまう。
「い、いいわよ・・・じゃ、あなたは幽霊じゃないってこと?自然王の補佐って精霊とかそんな感じ?」
「う〜ん、近いけどおしいな、位は精霊より上なんだ。精霊は可愛い弟分みたいな感じかな?」
存在自体が不思議な少年なものだから本当のことかの真意はわからない。しかし何もわからない今は信じるしかないだろう。少女はそう自分に言い聞かせた。
「でも、自然王の補佐のあなたが私をスカウトって、全然分からないよ。第一さっきから『強い霊力』だとか『君なら』とか、私そんなにすごい力なんて・・・」
わからないことだらけで、思考を落ち着かせるのにやっとの少女は俯く。しかしその顔にカシルは自信ありげに指を突きつけてきた。
「いや、ちゃんとあるよ。オレの姿が見えてるだろ?オレはオレ自身がちゃんと見えるように顕現しないかぎり常人にはまったく見えない。でも今オレはなんの力も使っていないのに君には見えている。並大抵の霊力じゃ不可能な話さ」
ハッと少女は顔を上げた。もう一度少年をよく見てみるが、やはりはっきり見える。
「改めて言おう。日浦奏(ひうらかなで)、君をスカウトに来ました・・・OK?」
響け―――
響け、響くのだ―――
さあ、漆黒の調べよ―――
響け、狭間を超えて―――
「つまり平たく言うと人手不足ってこと?」
「おっ、察しがいいね!平たく言っちゃうとそういうことかな」
(自称)自然王の補佐カシルの言うことには・・・
自然王のいる青界(せいかい)は只今急な忙しさの中にあり、補佐やその部下やら臣下はもちろんのこと、自然界と人間界を結ぶ強い霊力を持った神官や巫女などの存在も手が回りきらないほど大変らしい。そこで急遽強い霊力を持った人間、つまり奏のような人間をスカウトに出てきたと言うのだ。
「そもそも自然王って何者なの?」
「自然王はこの世の全ての自然界を統括する存在。つまり人間も含め、自然の大きな流れを、流れという秩序を守る存在なんだ。で、オレ達はそのお手伝いをしてるってわけ」
「な、なんかデカすぎて、いまいちピンと来ないわね」
あまりのスケールの大きさに、今までごく普通に暮らしてきた奏は掴みきれていない。むしろこの短時間で理解しろという方が無茶な話である。なのでゆっくり思考を整理することにした。
たしかに今まで幽霊なんかは見たことがある。生きてきたこの12年、幾度となく見たことはあるがカシルのようなタイプは初めてだ。自分でも人より霊感はある方だと思っていけど、まさかスカウトされるようなくらいあるなんて思ってもみなかった。そしてスカウトしに来たのは自然王の補佐で、その自然王というのは流れという秩序を守る者。自然王がいる青界では今とっても忙しいときで、その人員不足を補うために自分がスカウトされた。
「胡散臭いわね・・・そもそもどうしてその青界が忙しいのよ?」
「それは・・・その、君が手を貸してくれるって言うのなら、教えてもいいけど」
「どうして?理由も教えてくれないのに協力しろなんて、都合よすぎじゃない」
「とにかく、君の力が必要なんだ。協力してほしい!」
どうして理由が言えないのか知らないが、これでは返事のしようもないではないか。それとも下手に外部に漏れたらやばい情報ということなのだろうか・・・
「そんなこと言われても・・・」
「まったく、お前はまた突拍子も無い勧誘の仕方をしてくれたようだな」
「え?」
突然第三者の声が上から聞こえ、驚きの顔のまま声のした方を見上げた。
「・・・また?」
そこにはまた一人の少年が立っていた、もとい浮いていたのだった。
「カシル、そんな言われ方をしたら言われた方も困るだろう。ただでさえとんでもない頼みなんだ、そのへんを考慮しろ」
「だからオレはこういうの苦手だって言ったのに〜・・・・・・」
カシルはぶーたれたように宙であぐらをかき、拗ねる素振りを見せる。あくまで素振りだけのようだが。
新たに現れた少年はカシルと同い年くらいに見える。外見的に奏より3つか4つ上といったところだろうか?黒の瞳と同じ色の髪を上のほうで結い、緑色の袖の無いローブのようなものを身にまとっている。首には大きくたなびく褪せた黄色の布が巻かれていた。
奏が呆然としている間も二人のやり取りは続いた。
「俺が様子を見に来て正解のようだったな。シアが心配していたぞ」
「シアが?」
「ああ、お前はよく突拍子も無い言い方を平気でするから、スカウトされた子も困ってしまうかもしれない、大変だろう可哀想に・・・ってな」
「あ、そっちね・・・」
今度は本当に少しだけ残念がっているようだった。
二人の掛け合いを見ていてなんとなく頭が落ち着いてきた。新たに現れた少年はカシルの仲間らしい、そしてカシルを心配して来たらしいが、それよりなにより・・・
「どうしてこうも、次から次へと混乱するようなことばっか出てくんのよー!!!」
思考回路がショート寸前まで達し、それが大声となって表れたのだった。
「すまなかった、こいつの至らなさと俺の不甲斐なさが悪かった。すまない」
「・・・わかったわよ。私も混乱しちゃって、大声出して・・・悪かったし」
三人は今、人気の無い公園にいる。奏の大声に家にいた母はもちろん、近所の人まで何事かと伺うしまつ。これ以上常人には見えていないであろう存在と会話をするのは、自己を追い込むなにものでもなかったため、急ぎ家を飛び出してここへ来たのであった。
「あの、あなたも自然王の補佐?」
「ああ、名はセイルという。本当に迷惑を掛けてしまったな。えっと、奏と呼んでも?」
「ええ、いいわよ。じゃあ、私もセイル君でいいかしら?」
「かまわない」
このセイルという少年、カシルとはわりと対照的らしい。落ち着いた物腰の話し方をする。カシルはどちらかというと飄々としているような感じだ。
「・・・ねぇ、簡単には彼から聞いたんだけど、本当のこと?」
大声を出してスッキリしたのか頭はさっきよりずっと落ち着いている。だから念のためもう一度確認することにした。
「ああそうだ。信じられないようなことかもしれないが、それが事実。俺達もそれを承知で無茶な頼みをしなくてはならない状況なんだ」
「そっか・・・」
「セイルの言うとおり、無茶を承知で頼む・・・協力、してくれない?」
どこか申し訳無さそうに真っ直ぐ見てくる二人の瞳。奏もそれを受けて考え込むように俯く、手を握り締めた。
「私は・・・」
響け、響け―――
響き渡るのだ―――
漆黒の、調べ―――
「・・・っ!」
「私は・・・」
「奏、伏せろ!!」
「え!」
突然カシルが叫んだかと思うと、今度は頭を強く押さえつけられた。
ゴウッ!
直後、激しい風を切る音が聞こえた。何かが頭上を通り過ぎたような。
「な、何!?」
「ああ〜っ、もうタイミング悪い!!」
悪態をつくカシルを横目にセイルが一歩前に踏み出す。
「人間の言葉の中に『百聞は一見にしかず』という言葉があったな。奏、しっかり見ておくといい、これが今起きている現状だ」
「え・・・」
恐る恐る視線を上げていくと、黒い何かが羽音と共に認識できた。全身が漆黒に包まれ、人型はとっているものの背中には大きな一対の翼、そして四肢も鋭い爪を携えている。まるで本で見た悪魔のように。
「悪魔?何なのよあれは!?」
「ご名答・・・あれは『導きの旋律』によって負の欲が悪魔化された姿だ」
「来るぞ!」
漆黒の悪魔がこちらに突っ込んできた。ぐっと身構える奏をセイルが後に庇い、右手を前に差し出す。すると今度は強風が吹き荒れた。
「ゲガァァアァァァーッ!!!」
前方に出来た風の壁が悪魔の進攻を妨げ、漆黒の翼にも傷をつけた。奏は目の前の出来事に戸惑うも、肩に置かれているセイルの手に風が纏っていることに気づく。
「言い忘れていたな。俺は自然王の補佐であり・・・風の化身だ」
「風の、化身・・・?」
悪魔が傷ついた翼を庇いながら距離をとろうとしたのをセイルの鋭い風が追撃する。旋回して風を紙一重で避けるが、なおも纏わりつく風に体制を立て直せないでいるようだ。
「すごい・・・風の化身って、本当なのね」
ん?自然王の補佐で風の化身?『精霊より位は上なんだ』・・・やっぱり補佐を勤めるからには、それなりの実力が必要ということ?
「じゃあ、彼も・・・?」
ハッと顔を上げてカシルの姿を探す。
「さて、そろそろチェックメイトといこうか」
上空からカシルの声が聞こえた。
悪魔は背後にカシルの気配を感じ身をひるがえそうとするが、セイルの風がそれを妨げ逆に拘束する。
「あ・・・っ!」
「奏、さっき言っていたな・・・」
奏の思考を読み取ったのかセイルが言葉を紡いでいく。その間も片手で風を操り、悪魔を逃さない。
拘束された悪魔は地面に強く叩きつけられ、一瞬よろめき注意がとぎれる。その注意のとぎれた一瞬の隙にカシルは悪魔に迫り、サッと腕を払う。
「あいつは―――」
言葉を紡いでいくセイルの声。奏は目の前で起きた出来事にひたすら目を見開き、セイルの言葉の先を待つ。目の前で起きたのはまばたきの間より速いと言っても過言ではないかもしれない。そのくらいの速さで悪魔は―――
「氷の化身だ」
巨大な氷塊となっていた。否、カシルによって氷付けにされたのだった。そして巨大な氷の檻に閉じ込められた悪魔は、徐々にその姿を霧と化していった。
「悪魔が・・・消えた?」
「カシルの氷は浄化の力もある。だから負の欲によって出来た悪魔は、もとの形無きものへと戻るんだ」
「なんか、本当に、すごい・・・・・・これも現実なんだよね?」
「ああ」
実際に見てしまったからには信じるしかないだろう。現実逃避という方法もあるが、実際逃避してもどうこうなるというわけでもない。ここは彼らの言うことを信じてやってもいいかもしれない、そう奏は思うのだった。
カシルが二人の前に降りてくる。
「大丈夫?奏、セイル?」
「問題ない・・・と言えば嘘になるな」
「え?」
「このデカい氷塊、どうする気だ?またついうっかりで済ませるつもりか?」
「あ・・・・・・」
「人間の中には俺たちの姿を見ることの出来ない者、存在自体を信じてない又は知らない者も多い中、こんなデカい氷塊がいきなり現れたらいったいどう思う?もう少し規模を小さくするとかそのへんを考えて行動しろ」
「あう・・・いでっ」
セイルがカシルの両頬をグニグニと引っ張る。
「いつも苦労してお前のフォローしてやってるのは誰だったかな?」
「ほ、ほへふぁ(そ、それは)―――」
「俺とシアが苦労してお前のヘマをもみ消してやってるんだぞ」
「ふぉ、ふぉふぉほ〜ひへふ(そ、そのとーりです)・・・」
「わかったならさっさとあの氷をなんとかしろ」
「いだだだ〜!!」
最後の決めといわんばかりにセイルは思い切り引っ張った。
「も、だめ・・・」
「んん?」
「ぷ、あははははは」
「奏?どうした?」
「あはははは」
二人のやり取りを見てもう堪えきることが出来なくなった。セイルに説教されているカシルが哀れに思えたり、またそんな光景が微笑ましかったり、とにかく漫才のような二人のやり取りがおかしくてしょうがなかったのだ。
「ごめ、でもおかしくって・・・」
「まったく人事だと思って〜。ほっぺた痛いんだぞ〜・・・痛っ」
「人事だと思っているのはどっかの誰かさんも同じじゃないのか〜?」
「いでっ、痛いってセイル!」
「あははは」
奏の笑いはしばらく治まることもなく、ぐだぐだと氷を砕くカシルにしびれを切らしたセイルが、氷を風で粉々にするのだった。そして綺麗に氷の粒が舞った頃、奏も笑が治まった。
「ねぇ、もう一度確認のために訊きたいんだけど、いいかしら?」
「ああ、かまわないが」
奏は今度は思考を整理するのではなく、自身の心を整理する。この二人は悪い奴ではない、むしろいい人なのだろう。今まで直視出来なかった二対の瞳がそう語っている。
「さっき現れた悪魔は、やっぱり人に害をもたらすの?」
「そうだな。中途半端に意識を持ち、理性は持ち合わせていない奴らだから、おそらく害を及ぼすだろう」
「じゃあ、害をもたらす悪魔が、その青界の忙しさに関わっているってこと?」
「うん、まあ関わっちゃいるね。詳しくは、悪いけど今は話せない」
胸の前で組んだ手に力を込め、最後の問いを思い切って訊いてみる。
「それじゃ、私が協力することによってこの現状をなんとかできるの?あの悪魔をどうにかすることができるの?・・・私なんかの力でも、誰かを守ったり、救ったりすることができるの!?」
必死に詰め寄るように問いかける奏に、カシルはニッコリ笑って返した。その微笑に白くなるまで握っていた手の力が、すっと抜けていく。
「もちろん!だからオレ達は奏を迎えに来たんだ」
「ああ、とんでもない勧誘の仕方になってしまったが・・・力を、貸してくれないか?」
真っ直ぐで透き通るように澄んだ瞳。奏もその瞳を真っ直ぐに受け返し、一歩彼らの方へ足を踏み出した。
「しょうがないわね・・・私の力、貸してあげるわよ」
今度は奏の方が微笑返すのだった。
今まではただ幽霊が見えるだけだったこの力、こうなればもう人様のために活用してみようじゃないか。こんな力でも誰かを守れるかもしれないのだ、自分を守ってくれた彼らのように・・・