4、月光の下で
スパンッ!
「・・・・・・っ!」
月を見ながらもの思いにふけっていると、精悍で透った音が辺りに響き、思考から引き戻された。
「何の音?どこから・・・」
キョロキョロと周りを見回す。その間も精悍な音は続いた。
「こっち、かな・・・?」
テラスの手すりに沿って音の鳴る方へ歩いて行くと、音はだんだん大きくなった。
スパン!
「あれは・・・」
テラスから身を乗り出す。家の裏にある森に面した場所、そこの一本の木に小さな的が掛けられていて、ナイフがその的の中央を次々に射止める。
昼間出会った少女ティクがそこでナイフの練習をしていた。
「やっ!ていっ!」
様々なフォームから投げ、連続で確実にど真ん中に当てる。その度ナイフが風を切る音が聞こえた。
「へぇ、すごいじゃん・・・」
思わず感嘆の声をあげた。見事といえるその様子をカインはじっと見つめる。
「やっ!・・・・・・ん?」
ふとティクは手を止めた。カインの視線を感じたのだろう、こちらを向く。
ナイフ同様、感覚もなかなかである。
「あ、ごめん邪魔するつもりじゃなかったんだけどさ・・・」
つい見入ってしまった、あまりにも鮮やかだったから。森で言っていたのは本当だった。
「ううん、いいよ。それともこの音うるさかったかな?もしかして起こしちゃった?」
「いいや、ちょっと涼んでたらその音が聞こえてさ。君こんな夜まで修行してるの?」
「うん、まあね。・・・・・・あ、そうだ!えっと、ちょっと待っててあたしもそっち行くから!」
そう叫ぶとティクはこちらに走ってきた。ちょっと距離があるため大きめの声での会話だったが、どうしたというのだろうか?
そんなことを考えているうちにティクはテラスの階段を上って近くまで来ていた。
「ハァハァ、お待たせ!ずっと、言おう言おうと思ってて・・・」
「大丈夫?息切れてるよ。まずは呼吸整えてからね。」
「ハァハァ、そっか・・・うん、そだね。」
肩で息をして焦るティクをなだめるように、とりあえず長椅子に座らせる。フゥと大きく深呼吸したところで、カインもティクの隣に腰掛けた。
「あのね、ありがとう!」
「はい?」
説明無しでいきなり礼を言われて逆に戸惑ってしまう。
「えっと、会長の家であたしが墓穴掘っちゃって困ってたら助けてくれたでしょ?だから、ありがとう!助かった!」
今の説明でやっと理解した。村長の家での出来事のことを言っていたのだ。
「ああ、どういたしまして。なんか見てらんないほど困ってたからね。」
笑顔でお礼を言う彼女にカインもまた笑顔で返す。
この少女は本当によく笑う。
「それにノルマがどうとか言ってたし、あれだけ急いで屋敷に飛び込んできたらなんとなく予想ついたから。君にとってやばい事だったんでしょ?まあ、ある意味やばい事だけど・・・。」
「う、うん、まあね・・・ホント君のおかげ。でもすごいよ、それだけで判断できちゃう上にあんなに弁が立つなんて!あたし全然そっちは苦手だからさー。」
「ま、あれぐらいわけないけどね。」
今度はカインが自慢げに話す番だった。カインの場合こういって褒められたときはけっして謙遜しないタチである。
「じゃ、次オレからね!・・・何であんな必死でナイフの修行してるの?」
問われたティクは一瞬目を丸くし、すぐにいつもの笑顔と人差し指を向けた。
「うん、いい質問!それはね、あたし行ってみたい所があるんだ。」
「行ってみたい所?」
「そ、君も見たでしょ?あのでっかい岩山。そこは周りの森と合わせて『聖羅の森』って呼ばれててね、あたしはそこに行ってみたいの。」
「聖羅の森・・・」
村に着いたばかりの時と、村長の家の大きな窓から、たった2回でもはっきり思い出せる風景だった。特に大きな岩山は印象に強い。
「でもね、会長ったら『危険だからダメです』って絶対行かせてくれないの!だからあたし交渉に交渉を重ねて取引したんだー、『自分の身を守れるくらい強ければいい』でしょ?って。それでナイフの修行してたってわけ!」
カインは「なるほど」と相槌を打ち、ふと気に掛かる。
「どうして、そんなに必死で修行してまで行きたいの?特別な理由とかあるから?ずっと持ってた夢とか、目標とか、そこに何かあるの?」
ずっと気になっていた。この少女は初めて会ったときもナイフの修行をしていた、そしてこんな夜でもついさっきまで的に向かっていたのだ。そこまでこの少女を突き動かすものは何なのか疑問に思った。
そんなに必死になれるもの・・・
「無いよ、特別な理由なんて。」
しかしティクの口から出た言葉は素っ気無いほど簡単な答えだった。それでも静かな口調で語り始める。
「ただの好奇心だよ、だってまだ行ったことも無いのにあたしにとって大切な何かがあるとかそんなことあるわけ無いじゃん。ただハッキリしてるのはあそこがどんな所なのか、どんな生き物がいるのか、どんなものが待ってるのか、それを知りたいだけ、あたしはこの自分の目で。この気持ちを抑えちゃったら後悔しそうだからさ。それだけ!」
月が雲に隠れ、また姿を現す様を眺めながらティクは言いきった。月の光のせいなのか、ティクの瞳はとてもまっすぐで澄んで見えた。
「・・・・・・・・・」
『ごめんね、この気持ちを抑えたら後悔しそうだから。』
ほんの数日前のやり取りがフラッシュバックする。
旅立ちの前夜、自分が父に言った言葉と重なった。驚きはもちろん、よく解らないが別の感情も起こったことはなんとなく解った。自分とどこか似ているような、近くに感じるような、そんな感じ。
戸惑いにしばし言葉が出なかった。
「だってあんな大きな岩山だよ、神秘っていうか絶対未知の発見がありそうな匂いしない?そう考えるだけでワクワクしちゃう・・・・・・って、聞いてる?」
ちょっと興奮気味に話していたティクはカインの様子に気づき、顔を覗き込む。
「えっ、き、聞いてるよちゃんと!」
(何やってんだろオレ・・・)
らしくないほど戸惑っていたのか、ちょっぴり自己嫌悪。普段の余裕が伺えない声だった。仕方ないといえば仕方ない、そうそうあることじゃないのだから。
ティクは「そっか」と理解したそぶりで再び月を仰いだ。
月の光に照らされる横顔は少女らしい顔で、聞くところによるとカインと同い年らしい。
ふともう一つの疑問を思い出した。これこそ最大の疑問であった気がする。
「ねぇ、さっきから言ってる『会長』って何?村長のことだよね?」
ずっと気になっていた、少女が村長の家に飛び込んできてからずっと。村長自身も否定せず、ティクも何の抵抗も無く自然に呼んでいた。だがカインにはいったい何のことなのかさっぱり分からない。いったい何故会長?いったい何の会長?
「え、あそっかそういえば君旅してるんだったね。まあそう言ってもあんまりここの村民以外知らないか・・・。あのねその『会長』ってのは、『鬼ヶ姐様親衛ファンクラブ』の会長の事だよ。」
今度こそ本当に言葉を失った。
鬼ヶ姐様・・・親衛・・・ファンクラブ?何・・・それ・・・?
「そ、そんなの・・・あんの?鬼ヶ婆の・・・ファンクラブって。」
声をやっと紡ぎだす。心の底から驚くとはこのことだと実感した。
「うん!それで村長が会長を務めてるの!」
なるほど・・・あの村長の鬼ヶ婆への憧れを見ればそこは納得できる。しかしカインの頭を巡るのは恐ろしい不良じみたお婆さんだけ、いくら頑張ってもファンの付くような人物は想像できなかった。
「っていうか、君鬼ヶ姐様を知ってるの!?わ〜、やっぱり有名なんだ〜。」
さっきとは打って変わってうっとりとした口調。目は憧れを象徴するように輝いて見える。
「や、有名かどうかは知らないけど。『鬼ヶ姐様』ってもしかして君も、ファンクラブの・・・会員だったり、する?」
「あったりー!」
やっぱり・・・
「フッフッフーあたしはなんと『鬼ヶ姐様親衛ファンクラブ』の会員の中でも一桁ナンバーの会員なのだー!やっぱり憧れちゃうんだよね天使が舞い踊るような戦いっぷりなんてさ!」
ティクは自慢げに会員証をカインの目の前に突き出した。そこには確かに『No.8』と書かれていた。会員証のデザインは真っ赤なバックに天使と蝶の羽根が散りばめられている。
カインはただただ呆気に取られていた。これを話すティクは嬉しそうで、テンションも先ほどより若干高い気がする。
むしろ二桁いっちゃうくらい会員数があるって方が驚きかも・・・
「すごいね・・・」
「でしょ!あたし会長に鬼ヶ姐様の話聞いてからずっとファンなんだ〜。まだ会ったことないけど、きっと素敵な人なんだろうね。うん、あたしの憧れ!」
今の言葉で察しがついた。この子は先ほどのような村長の熱弁によって感化されたのだ。きっと会員のほとんどがそうなのだろう、村長の話によって鬼ヶ婆を知り、信じているのだと思うとどこか哀れに思えてきた。
ここで本当のことを話そうかと一瞬迷ったがすぐやめた。事実を知るより今のままの方が幸せかもしれない、そう思ったから。そもそも突然こんな会ったばかりの人間にそんなことを言われても信じるとは思えないし、事実を知ってショックを受けさせるより黙っておいたほうがこの子のためのような気がする。
じゃあ、口が裂けてもオレが鬼ヶ婆の居るローグ村から来たなんて言えないな・・・
「そっか、いつかその『鬼ヶ姐様』みたくなれたらいいね・・・ハハハ。」
面倒事を避けるように障りの無い相槌を打つ。
「うん、ありがとう!・・・あっそうだ、次君のこと聞きたい。」
「へ?」
突然かつ唐突な話題変換される。
「だって旅してるんでしょ?やっぱり外にはモンスターとかも居るわけだし、君も冒険してるんだから強いんだろうなって。戦うときのこととか知りたいし・・・」
強くなって自分自身の足で冒険しようと目指しているティクにとってはやはり気になるのだろう。研究熱心というか努力家な子である・・・
そしてティクは真っ直ぐにカインの目を真っ直ぐ見て続ける。
「それに、やっぱりせっかく会ったんだし・・・友達とか、なりたいから。」
「・・・・・・」
こんな台詞をさらりと言えるこの少女を本当に純粋なのだと思った。
ティクはまたニッコリと笑っていた。
「いいよ、好きなだけ話してあげる。オレもいっぱい聞いちゃったし、そのお返しってことでも、ね。さて、何から話そうか?」
興味津々といった目を向けるティクに、カインはどこかなだめるように落ち着いた感じで話し始めた。
どうもこれだけ澄んで見える瞳に弱いらしい。変な意味ではなく、ただ折れてしまうようだ。