4、気づき気づかれ
「オレ、あの子に謝らなくちゃな・・・・・・」
ぽつりと呟いた独り言に、傍らのピロルが首をかしげる。カインは「なんでもないよ」と、優しく笑って魔法で出来た壁に手を置いた。
「オレの独り言だから・・・」
ガラスが割れるような甲高い音を響かせ、下にいる少女と隔たりを作っていた壁は砕け散った。
ティクは助走をつけて勢いよく跳び、上の段へ右足をかける。そのまま勢いにのって上りきろうとしたが・・・
「うっ、うわぁっ!」
流石に普通では無理のある高さであるため、足をかけたものの体勢もバランスも崩し、再び後ろに向かって倒れていく。
ガシッ!
「あれ?」
「もう一回落ちる気?危なっかしいね」
再落下はカインがティクの右手首を掴んだことで食い止められた。だが傾いていることには変わりなく、角度にして約50度。ティクはホッと安堵の息を吐き、まだ傾いたままである体を直そうと片方の手も差し出し、カインも手を伸ばしかける。しかし何かを思い出したようにその手はいきなり止まった。
「あ、そうだった。ごめんね、忘れるところだった」
「へ・・・?何のこ―――わわっ!」
呆けるティクの顔を無視して掴んでいた手を手前に引き寄せた。そしてまたバランスと失ったティクを両脇の位置で持ち上げ、そこでやっとカインは笑って言葉を紡いだ。
「手、怪我してるんだったよね?引き上げるためとはいえ、危うく強く握るところだったよ。ごめん、ごめん」
「え、やっ、てて、手は大丈夫だからっ、おろっ、降ろして///」
カインは何事でもないように言ってのけているが、ティクは顔を真っ赤にして焦った口調で抗議する。無理もないと言えば無理もない、両脇の位置で持ち上げるとはつまり、小さい子供してあげる「たかいたかい」と同じ体勢なのだ。
「はいはい、これでいい?」
「はぁっ、はぁっ・・・もう、からかってんの?///」
地上に降ろしてもらったティクの顔はまだ赤かった。それを見てカインは楽しそうに微笑む。これほどの反応が返ってきたのだから、思いつきでからかったにしては上出来である。純粋な彼女ならきっと引っかかってくれると思っていた。
「パッと見て、免疫なさそうだとは思っていたけど、これ程とは・・・・・・」
「ん?何か言った?///」
「ううん、何でもない、何でもない。それより手ぇ見せてくれる?」
これまた悪気を感じていそうにもなく、さらりとあしらって傷ついた少女の手を取る。『誰かをからかう』というカインのはた迷惑な趣味は今に始まったことではない。二人の今のやり取りを見て、いつもターゲットにされるピロルは呆れの溜息を吐いた。
「こりゃ随分無理させたねぇ、早く手当てしなきゃ―――」
「こ、これくらい大丈夫!あたしの手はいいから早く先に進もう!?」
「何言ってんの?今まではギリギリよかったかもしれないけど、これからも同じ調子でナイフ投げれるとは限らないんだから」
「でもでもっ、あいつに構っていた分遅れちゃったし・・・先を急がないと!」
「駄目」
なおも反論しようとするティクを無理やり制止し、ほどよい岩に座るよう促す。ティクは不満いっぱいの顔をしながらも、しぶしぶ岩に腰掛けて手をカインに預けた。カインも傷に刺激を与えないよう、慎重にグローブをはずしていった。
「っ痛ぅ!」
「ほら、やせ我慢大会じゃないんだからさ。もう少し限度を考えて練習したら?いくら技術が上がったって、いざってときに手が使えないんじゃ意味無いでしょう?」
小さな少女の手は、タコがいくつもあり、それよりも多いマメはほとんどが破けて血を滲ませていた。まだ年端もいかない少女の手とは思えない手だ。そしてそんな手にしたのは少女自身の強い想いに他ならなかった。
「君のその真っ直ぐな想いもわかる。でも、その想いで視界を狭くしちゃいけない。何かを見落とすようなことがあれば、その想いを挫く火種になりかねないからね・・・・・・はい、出来た!次は左手貸して?」
「・・・・・・うん」
俯いたまま今度は左手を差し出す。手際よくテーピングも兼ねた手当てをしていくカインを、ティクはちらりと盗み見て、先ほど終わった右手に視線を移した。試しに何度か握っては開いて、痛みの具合と違和感の有無を確かめる。
「すごい、痛みが軽くなってるうえにあんまり違和感を感じない・・・」
「でしょう?オレも昔よくこんな感じのやってたから、慣れっていうのかな?おまけに回復魔法持ってないからさ」
どうってことないとでも言うように話すカインに、ティクは素直に感嘆の声を漏らした。自分と同い年のはずなのに、どうしてか今は大人びてさえ見える。それと同時に、切なさを帯びた想いが少しだけ少女の胸をよぎった。
「なんか、さ・・・・・・君には感謝しっぱなしだよね?」
「・・・え?」
「会長から庇ってくれたときも、ツルのモンスターから助けてくれたときも、今こうして手当てしてくれているのも・・・ここへ来れたのだって、やっぱり実際は君のおかげじゃない?」
「・・・・・・・・・」
自分では十分実力も備わって一人でだって平気だと思っていた。でも実際は未熟なままで、悔しくて、腹が立って、いっそ笑えそうなほどだ。
「あたしも・・・・・・まだまだ、だね」
「・・・・・・そうかもね、まだまだ修行の余地はある」
あっさり肯定された。別に慰めを期待していたわけではないし、たしかに少年の言うとおりだとも思う。しかし気持ちがさらに沈みかけるのも事実。
そんなティクの心情を知ってか知らずか、カインは左手の仕上げをしながら言葉を続けた。
「でも、魔法銃を持った大の男を倒したのも事実・・・」
「え・・・?」
「でもってオレ思うんだよね・・・昨日あの衝撃的な出会い方しなかったら、きっとここまで関わりを持っていなかったかもしれない、って」
話の意図がつかめずに首をかしげるティク。カインは気にせず淡々と語っていく。
「考えてみれば本当にすごい偶然だよね?あれだけの腕を持った君が狙いをはずし、ナイフはたまたま通りかかっただけのオレに向かってきた。でもその偶然のおかげで、今こうして君と『聖羅の森』で話せている」
「・・・何だか、運がよかったのかな?」
「そう、ある意味強運中の強運だね」
つまり運が良かっただけ。彼の言ったすごい偶然が起きなければ、彼は少女を庇うことも無かっただろうし、夜に二人で意気込みを語らうことも無かっただろう。そして彼が森に誘ってくれることも無かったかもしれない。そう思うと、苦笑いするしかなくなる。
「でも、『運も実力の内』ってね!」
「え・・・っ!」
はっと顔を上げると満面の笑みのカインがいた。「はい、おしまい」と、左手を開放すると、右手と同様に綺麗に仕上がっていた。カインは立ち上がると膝に付いた土埃を掃う。
「さ、行こうか?向こうに洞穴みたいの見えるから、まずはそこから入ろう」
「はい!」
さっさと歩いていってしまうカインと、その後を着いていくピロルを追いかけて、ティクは慌てて立ち上がり追いかける。足を速めながら思考を整理し、再びカインの隣に並ぶ。ちらりと、ほんの少し自分よりも高い位置にある少年の顔を見上げた。
カインもその視線に気付いて黒い瞳を見返す。
「ごめんね、弱音みたいなこと言っちゃって」
「別に・・・もう、大丈夫?」
「うん、おかげさまで!ありがとう」
「何のこと?オレは普通に話していただけだよ。あ、手の方かな?」
「ううん、両方」
今度はティクが笑みを返すと、カインはふいっと顔を背けた。少年は少女の心情にいち早く気付き、少女もまた少年のさり気ない気遣いに気が付いた。ほんのささいなことでも気付けたのは、二人が敏感だからか、それとも単に似たもの同士だったりするからか・・・
(この子、思ってたより疎くないのかな?鈍感タイプかと思ってたんだけど・・・あっ)
カインはふとあることを思い出し、小人シェットから何かを取り出す。そして取り出したそれをティクに向かって投げた。
「それ、塗っておいた方がいいよ。効き目は保障するから」
とんとん、と自らの頬を叩いて示す。ティクもその動作でカインの意図を理解した。
「放っておいたら腫れちゃうかもしれない。駄目だよ?女の子が顔に傷作っちゃ」
「むぅ・・・・・・君までそんなこと言うの?」
男に銃で殴られた頬はまだ赤みが引いていなく、痣になりそうなほど痛々しい。しかし女であるからと侮られたり、特別扱いされることを嫌うティクはカインの言葉に少なからず反感を抱く。
目を据わらせて睨むティクに動じず、むしろカインは真っ直ぐにその瞳を受け止めて口を開く。
「だって、もったいないでしょう?せっかくなのに」
「なっ・・・///」
少女の顔がいっきに紅潮する。今のは女だからという前提というよりも、少女個人に向けての言葉だった。少なくともティクにはそう聞こえた。
「あ、あたしそんな、もったいないとかそんなことはっ・・・・・・///」
「(やっぱりこの手のことには疎いんだ・・・)ぷっ、そこまで動揺しなくたって―――」
ドオン!!
また突如頭上で爆音が鳴り響いた。正確には岩山の頂上付近である。三人は即座に顔を見合わせ、洞穴に向かって駆け出した。
「今の音なんだろう!?」
「さあね、とりあえず尋常じゃない。急ごう!」
「はい!」
確実に何かが起こっている。あれ程騒がれるのを嫌っていた奴らなのに、頂上付近で爆発を催す実験なんておかしい。もしかしたらまた別の何かが起きたのかもしれない。逸る気持ちを胸に、細く入り組んだ穴の中を駆けていく。
すると前方に鉄の扉が見えた。カインとティクはそれぞれ魔玉とナイフに手をかけ、いつでも戦闘に入れる体勢で足を速める。
「蹴破るよ!?」
「うん!!」
二人は同時に踏み込み、渾身の力を込めて鉄の扉に蹴りを打ち込んだ。扉は鈍い音を立てて開き、洞穴の中とは思えない光が三人を包み込む。
光に目がなれ、徐々に瞼を開いていくと、視界に飛び込んできたのは信じがたい光景だった。ピロルは目を見開き、ティクは息を呑み、カインは確信の笑みを浮かべた。
「何なんですか、これは・・・?」
「こんなの岩山の中なんかじゃないよ!これじゃまるで・・・」
「巨大な試験場だ―――」
高い天井に整備された広い床、天井の角には照明が下げられており、ゴリオンが五頭くらい簡単に納まりそうなほどの巨大な試験場がそこにはあった。明らかに人為的に作られた場所であり、使い古されたような跡はほとんど見えないあたり、そう古いものではない。
「こんなものを隠していたのか・・・・・・」
「カイン様、あそこに誰かいます!」
ピロルが指を刺す方向には確かに人影が見えた。背丈はティクの倒した男よりも少し高く、サングラスをかけ、白衣に似たローブに身を包み、黒の短髪を揺らしてこちらに近づいてくる。反射的に魔玉を握る手に力が入った。
「まったく、あの二人は何をしているんだか。こんな子供すら止められないなんて・・・」
「こんな子供で悪かったね。何?降参でもしにきたの?」
二十代半ばくらいの男だった。手には杖と思しきものが握られている。しかしその杖は魔法使いが普段用いるものとは少し異なり、いっさいの装飾も彫られているはずの文字も無いシンプルなものだ。
「ほう、君にはこれが降参しているように見えると?」
「残念なことに見えないね。それより何者?」
「名乗ってもらいたいのはこっちの方さ。それが礼儀ってものだろう?」
「・・・・・・」
交戦の余地があるならば、隙を見つけて一撃で終わらせたいと目を光らせていたが、この男は寸分の隙も見せる気配が無い。それに会話をする意志があるとすれば利用するべきだ。うまく繋いで真相に迫る。無理なら力ずくで会話できる状況に持ち込む。
「カイン・ヤグ、魔玉使いだよ。で、こっちはピロル」
「はい!」
「・・・あたしはティク・マリセル。これでいい?」
「ああ、わかった。じゃあ次は俺の番だな?俺はカルゴっていう未来の英雄だ」
ごく自然に自らを英雄と言ってのける男にティクは顔をしかめた。しかしカインは平然とカルゴと名乗る男を見返し、感情のこもらない声で口を開く。
「英雄って?いったい何を仕出かしてなるわけ?ここもそのための場所とか?」
「おっ、君笑わないでいてくれるのか?大抵これ言ったら仲間内でも笑い話にされるんだがなぁ。警戒付きでも嬉しいもんだぜ?」
「質問に答えてくれない?時間の無駄はお互い避けたいでしょ?」
「時間の無駄ねぇ・・・・・いいこと言うじゃないか」
カルゴは150センチはあるであろう長い杖を一回転させ、地面に突き立てた。その瞬間杖を中心に部屋全体が振動し、カインの詠唱が終わるか否かのタイミングで大規模な爆発が生じた。凄まじい轟音とは反して、壁は欠片も崩れる気配を見せない。
「俺もどの道、君を排除しなくちゃいけない。なら突っ立ったまま話すよりは戦いながらの方が利口だろう?大丈夫、5分後に立っていられたら俺の野望も全部聞き終わるから。今の爆発を防いだ君なら可能なはずだ」
「オレも同感だよ。戦闘不能にしてから聞き出したほうが楽そうだからね」
爆発の影響で舞っていた煙が晴れ、風の盾に守られた少年と少女の姿があらわになった。
カインは構えの姿勢を崩さないまま、視線だけ背後のティクに向ける。ナイフを握り締め、いつでも投擲できる態勢でカルゴを睨みつけている少女。少女の手には先程自分が巻いてやった包帯が見え、ナイフの柄にはかすかに血が付着していた。視線を眼前に戻し、少女に向けて口を開く。
「ここはオレが行く。君は下がっててね?とばっちり受けないようにさ」
「なっ!?あたしも戦う!あんな奴全然怖くなんかないんだから」
「一つ一つの攻撃規模と威力が大きすぎるんだよ。避けきれないサイズの攻撃が来たら防御するしかないでしょう?だからオレが行く」
少女の実力は確かだ。しかし今回の相手はレベルが違いすぎる。それに手だって無理をさせてしまったら、もしものとき己の身を守りきれないかもしれない。少女は十分戦って勝ってくれたんだ。あとは自分が引き受けよう。
「そういうわけで、とばっちりには注意してね!」
「むむぅ・・・」
まだしぶるティクを残し、カインは駆け出した。
「魔玉使いと戦うなんて初めてだ。さあ来い!楽しませてくれよ!」
「こっちは魔法使いとの戦いなんて慣れっこなんだよね!」
カルゴが横なぎに杖を祓うと巨大なカマイタチが放たれた。カインも風の防壁を繰り出し、二つの風は見事に相殺する。
「召喚!地の第一魔法そり立つ岩の巨塔アースニードル!」
「おっと、危ない危ない」
巨塔のごとく現れた強固な岩を、カルゴはシールドを張って受けるのではなく受け流した。そして両者とも間合いを取る。
「お互い力量調べもそろそろやめにしない?早く本気出さないとオレあっさり勝っちゃうけどいい?」
「焦るなよ。俺の野望を聞かせてやるって言っただろう?君と戦うのもなかなか面白そうだし」
「オレとしてはつまらなそうだけどね」
「手厳しいなあ。あ、そうそういい忘れていた!」
柏手を叩き、カルゴはサングラスに手をかけた。カインはとっさに身構える。術士にとって瞳というのは特殊な能力を宿しやすいものであり、未知数の能力は油断を許せば一瞬で敗北に招きかねない。
「君は勘違いしているみたいだけど・・・・・・」
「勘違い?」
はずしたサングラスを放り投げる。同時にカインは目を見開いた。サングラスに隠されていた瞳は特殊能力を宿したような代物ではない。だが誰も想像しえなかったもの。男の瞳は鮮やかな彩なんかではない漆黒の黒。魔源気を宿さない常人の多くに見られる黒だった。
「俺は魔気族なんかじゃない。魔力なんて端から持っていないんだよ」
「・・・っ!どうして?今の今まで魔法を使っていたじゃないか?それも半端な威力じゃない魔法を!?道具じゃ簡単に生み出せない威力だ!」
さすがのカインも動揺を隠せずに問いただす。カルゴは面白そうにその様子を見て、さらに続けた。
「俺は科学者だ。科学と魔法、二つの融合の頂点を極めるべくこの世に生まれた英雄だ!」