小夜曲〜セレナーデ〜後編
どうして出会ってしまったんだろう・・・
どうして・・・
どうして、今さらこんな―――
大理石によく似た鉱石で出来た廊下に、一人分の足音が響く。人通りが無い分、小さな音は吸い込まれそうなほど静まり返っていた。普段はこんなではないはずなのだが。
「おっ、今日は月が一段と大きく見えるねぇ」
窓の外に目をやると金色の月が輝いていた。
本来なら、空を飛べるのだからわざわざ歩くなんて手間をかけなくていいのだが、今日は何となくゆっくり歩いてみたかった。その選択は正解だったらしい。小さな窓から見る月なんて、飛んで早く移動していたら気づかなかったかもしれないから。
そんなことを考えつつ、カシルは月を見て小さく微笑んだ。
「さて、行きますかぁ」
「ふぅ、もう中央第三書庫ってどこよぉ」
想像以上に大きく、かつ複雑な構造の王殿内を奏は一人疲れた様子で歩き回っていた。
カシルと別れた後、いったん帰途にはついたものの、ずっと働きづめのシアをもう少し手伝ってからにしようと進行方向を変えたのだ。しかし進行方向を変えたはいいが、肝心の書庫まで辿り着けないでいた。
外側に向かって片側が低めの柵になっている通路を奏はとぼとぼと歩く。
「広すぎなのよ、ここは。本気で迷子になったらどうしよう・・・・・・あれ?」
ふと、視線の先に一つの影を見つけた。柵に手を置く人影のようだ。ゆっくり近寄っていくにつれて月の光が人物を照らしだし、全貌が明確になってくる。
さほど高くない身長に短い金髪、真っ白い神官服に遠目でもよくわかる緑色の瞳の少年。
「あのっ」
「!・・・・・・ああ、あなたは」
思い切って声を掛けてみれば、やはり三日前奏を助けてくれた少年だった。一瞬驚きはしたがすぐに笑みを返してくれた。何となく安心して奏も微笑む。
「やっぱりそうだ!よかった、また会えて・・・この間は本当にありがとう」
「いや、もうその件はいい、無事に済んだのだから。あれから変わったことは?」
「ええ、おかげさまで・・・そうそう、聞いたんだけどあなた私と同期なんだって?」
シアから聞いた少年の情報。自分と同期の仲間がいると聞いたときは嬉しくてどこかホッとしたのを覚えている。
「ああ、そのようだな。私もあなたのことを聞いたときは少し驚いた。お互いまだまだ日が浅いということだな」
「フフフ、そうね。私は奏、日浦奏よ!よろしくね」
「私はレオン・シャンヴァス、こちらこそよろしく頼む、奏殿」
お互い手を差し伸べて握手を交わす。しかし、奏は握手をするもどこか腑に落ちないような表情だ。それに気づいてレオンが不思議そうに伺う。
「・・・・・・っあ、何でもないの!うん、何でもない!ごめん、アハハハ・・・」
「そうか、ならいいが・・・」
今度はレオンが腑に落ちない顔になるが、奏は誤魔化すように笑う。やがて諦めたのか、レオンも小さく笑った。
「私ね、ここに来てから少なからず不安があったの。周りは先輩達とか上司の人達ばかりだし・・・あっ、でも、みんな優しいのよ。それでもね、やっぱり同期の仲間がいるって心強いっていうか、安心するっていうか・・・だから、友達になれたみたいで嬉しい」
ホッとした安心感や嬉しさから、奏は最高の笑みをレオンに向ける。
けしてカシルやシアに不満があるわけではないが、やはり自分と同じ仲間がいるというのは、それだけで心強いのだ。握った手のひらから伝わってくる温かさもまた同様である。
「少なくとも、私はそう感じているわ。ありがとう・・・」
「っ・・・!いや、礼を言われるものでもない。それよりもどうしたんだ?こんなところで」
照れくさくなったのか、奏から視線を外して外へ目をやり、ついでに話も本題へ移らせる。突然の切り替えにキョトンとした顔になる奏だが、思い出したように柏手を打った。
「そうよ、そうだったわ!」
「思い出したみた・・・っ!」
奏は再度レオンの手を強くとり、真っ直ぐ真剣な瞳で言った。
「中央第三書庫ってどこ!?」
人間と化身は違う・・・
能力も、生きる時間さえも・・・
例えるなら、化身から見て人間の一生はゆっくりと瞬きをするのと同じ・・・
でも、それでも―――
他の扉より幾分か年季の入っているふうに見える扉。わきには『中央第三書庫』と書かれた札が掛けられている。
カシルはノックしようと上げた腕を、扉に当てる寸前で躊躇うように止めた。少し考えた後、ノックをする代わりにそっとドアノブに手を掛け、音を立てないようにゆっくりと扉を開ける。キィという音がかすかに響いた。
中を覗くとそこは、整頓の行き届いていない本の山が連ねている小さな空間が広がっていた。第二書庫も広くは無いが、ここはそれ以上に狭い。連なる本の山がそうさせているのだ。
「・・・・・・」
カシルは眺めるように書庫を見渡し、本の山の隙間からオレンジ色の髪が揺れているのを見つけ、目を留める。一つ息を吐いて肩をすくめると、静かに開けた扉の隙間に身を滑り込ませた。
もとは物置だったこの部屋は、作業机なんて代物もなく、まさに本を詰め込んだだけの部屋だ。だから目の前の人物も床に座り込む形で作業をしている。
「カシル、どうしたのかしら?」
「あらら、気づいちゃったの・・・」
シアは後を向いて作業をしたまま、カシルの存在に気が付いていた。カシルもまたそれを察していたらしく、当然といった表情で裏腹の言葉を吐いた。
作業の手を止め、今度はちゃんとカシルの方を振り返る。
「あなたくらいの存在なら気配ですぐわかるわ。現役神官をなめないでくれる?」
「これは失敬・・・・・・なーんてね」
おどけて笑うカシルにつられて、シアも笑みをこぼす。
ケンカ以外の他愛の無い会話は、どこか優しい雰囲気で安堵感さえ覚える。とても、特別で大切な空気・・・
「これ、渡しに来たんだよ。シアってば、オレぶん殴ってさっさと行っちゃうんだもん」
シアの目の前に一枚の折りたたまれた紙をちらつかせる。紙の端には何かのサインのようなものが記されていた。それを見るなり、シアは驚いてその紙を受け取る。
「自然王から今回の任についての文。まだ何も聞かされてないだろう?ずっと仕事付けだったんだし」
「むぅ・・・・・・ありがとう、わざわざ届けてくれて」
「どういたしまして」
カシルには「かなり悔しいが仕方ない、今回は認めざるを得ない」といったオーラが見えそうな、しぶしぶながらも礼を言うシアの心情が手に取るようにわかった。
ここでまたなだめるようにポンポンと頭を軽く叩けば、また彼女は怒って反抗してくるだろう。それはそれで面白そうだが、さっき怒らせたばかりだからそれも少し可哀想かもしれない。だから今回は珍しく素直に受け入れている様を見られたことに留めておこう。
「ま、そんなわけで今回はオレと一緒に来てもらうから」
「ええ、この文にも書かれていたわ、カシルに力を貸してやれって」
「そっか、じゃあ明日からよろしく頼むね、シア」
「もう慣れているもの、こういうことなら。ええ、任せておいて」
お互いに了承の意を視線で示した。一応今の会話で用事は完了したことにはなったが、カシルは部屋を出ることなく書庫の中をゆっくり散策し始める。ほのかに香るインクの匂いが、書庫の静かな雰囲気を際立たせていた。
ちらりと、シアの膝の上で開かれている本に目をやった。厚さのあまりない本のページ数はかなり本の後半を示しており、羅列されている文字も右ページの途中で切れている。本の質自体は新しいように見えた。ついでに傍らに置かれた羽ペンを見つけ、納得したような表情で頷く。
「なるほどね、これを書いていたってわけか・・・」
「ええ、普通じゃまだ早いかもしれないけど、きっと奏ちゃんなら大丈夫だと思うから」
シアが羅列されている文字を指でなぞると文字は淡い光を放ち、またすぐに消える。光が消えたことを確認すると、シアは傍らに置かれていた羽ペンを持ち、本のまだ埋められていない空間に走らせ始めた。カシルはその様子をただじっとみつめる。
「あの子の心は強いもの・・・」
「・・・・・・・・・」
小さな欠伸を噛み殺しながらも手を休めない少女の横顔は、優しく温かで、どこかいきいきとしたものだった。誰かを、妹のように可愛がる後輩の少女を想っているからこその表情。それは人の尊く、慈しむべきもの・・・
「・・・ろくに寝ていないんだろうに」
「何か言った?カシル?」
「いや、何でもないよ。ちょっと、大変そうだなって・・・」
「そんなことないわ」と、笑って返す少女の顔は疲れが伺えた。気持ち的に嘘を言ってはいないだろう、しかし、身体にとっては嘘になる言葉だった。
カシルは一瞬目を細め、すぐにまたいつものおどけた表情に戻って飄々と言う。
「手伝おっか?」
「いいわよ、これは先輩の私がやるものだから。第一、あなたにこの作業が出来るの?普段詠唱なしの術使っているのに、かってが違うんじゃない?」
「そりゃそうだ・・・」
小さな書庫にしばしの沈黙が流れる。互いに途切れた会話の続きを探していた。そして先にこの空気に耐えかね、沈黙をやぶったのはシアだった。
「それにね、私・・・何ていうか、奏ちゃん本当に素直で頑張り屋で、私のことも慕ってくれてて、いい後輩なんだけど・・・でも、妹がいたらこんな感じなのかなって思うのよ。私兄弟いないからわからないけど、だから、私は奏ちゃんに何かしてあげたいの!」
「シア・・・・・・」
少し照れくさくなったらしく、シアは再び本の文面に視線を戻した。
ついこの間も別の少女から同じような台詞を聞いたのを覚えている。少女もまた彼女を『姉』を称していた。妙なところで似ている二人である。
でも、それがまた微笑ましいというか、おかしいというか・・・
カシルは観念したように肩をすくめ、溜息にも似た息を一つ吐くと、背を向けているシアにゆっくりと近づいていった。
「だからカシル、気持ちだけありがたく―――」
トン・・・
背に軽い衝撃。かと思えば、すぐ背中に温かなぬくもりが伝わってきた。
「カシル・・・・・・?」
丁度床に座しているシアと背中合わせに座るかたちでカシルは腰を下ろした。シアの問いかけに何も答えず、ただ背を合わせて座っている。
そんなカシルの意図をつかめずにいたシアは、再度彼に問いかけてみた。
「これは、どういうつもりかしら?」
「背もたれのつもり・・・オレって優しいから」
今度は返答があった。背を向けているので表情はわからないが、いつもの軽い口調で冗談のように言ってくる。今回はシアが肩をすくめる番になった。
「・・・・・・あっそ」
軽く彼の背に体重を預けてみる。背もたれはしっかりとシアを支え、温かさも提供してきた。シアは視線を文面に向けたまま、膝を抱え込む。
「変なの・・・氷のくせに、温かい」
「ま、氷であってもオレは化身だから。人身をとっていれば身体の作りも似るさ・・・」
静かな書庫に反響することのないほど小さなシアの呟きは、カシルの耳に届いた。いい加減さの伺える返答だったが、シアも気に留めることは無く、流れる沈黙すらも先ほどのものとは微妙に違っていた。
月とランプの光が包む、穏やかな・・・
遅すぎた、せめてもう少し早く―――
短すぎる、せめてもう少し長く―――
幾度となく考えた願望・・・
理解している、わりきっている、覚悟だって出来ている・・・
それでも波のように蘇ってくる後悔の念・・・
少しだけ開けた扉の隙間から視線を外し、ゆっくりと閉め、静かにドアノブから手を離した。
「邪魔しちゃいけないわよね・・・」
「どうかしたのか?奏殿?」
「ううん、ちょっとね。シアさんのことは大丈夫みたいだから・・・」
中央第三書庫までレオンの案内でやって来た奏だったが、そっと覗いてみた書庫の穏やかな光景を見て気が変わった。シアへの心配は消え、何となく嬉しさがこみ上げてくる。
「何かいいことでも?」
「まあそうね、そんなところ。っていうか、私の『乙女の勘』けっこう冴えてるみたい」
「乙女の、勘?」
「ええ、そう。じゃあ、私達は帰りましょっか?」
踵を返してさくさくと歩き出す。邪魔をしてはいけないと思えばなお早足になって。
一人でことを進めていく奏に疑問を抱きながらも、レオンは少し先を歩く彼女まで追いつき、横にならぶ。
「結局どういうことなのだ?」
「ん〜、だから簡単に言えばシアさんにはカシル君がいるから大丈夫ってこと、かな?」
「カシル殿が?」
「ええそう、カシル君が」
得意げに話してみせる奏だが、レオンはまだ腑に落ちないような顔だ。
今度は奏がレオンを見上げて問いかける。身長がさほど高くないとはいえ、成長盛りの年頃であるレオンは奏より少しだけ高い。
「カシル君のこと知ってるのね?」
「当然だ。カシル殿は自然王の補佐、つまり我々の上官のようなものだからな。それに同じ氷属性術士として憧れもある・・・・・・ところで奏殿、私は思ったのだが・・・」
「何?どうかした?」
奏はキョトンとした表情で問い、それを受けてレオンは言いにくいのか困ったように眉をひそめる。
「あなたは少々礼儀というか、上の者への敬意を少し欠いているのではないか?その、言葉遣いというか、目上の者の呼び方というか・・・」
「え?」
奏も眉をひそめる。つまり平たく言うと『礼儀知らず』ということだ。
「上官をそのように『君』付けにしたりするのはいかがかと・・・」
「あなたってやっぱり、けっこうお堅いところあるのね」
「堅いなどではなく、これは―――」
「わかったわよ。でも最初にそう読んじゃったんだから仕方がないじゃない、セイル君だってそれでいいって言ってくれたし」
「それでもだな・・・」
徐々に二人の空気がよろしくないものになっていく。レオンの言うことももっともだが、奏はもともとそういったものは得意ではない。そんなすれ違いからだんだんと会話は口論へと発展していき、自然と二人とも早足になっていった。
「だからこれは常識内での礼儀だ。『親しき仲にも…』という言葉があるように礼というものは―――」
「もう、そんなことわかってるわよ。でもこれでうまくいってるんならそれでいいじゃない!それにこっちの方が親しい感じがするし、せっかく仲良くなったのにそれじゃあ他人行儀よ」
「私情もいいが、ここは一応王殿なのだぞ。ここは確かに個人の親睦も存在するが、立場というものも存在する。だから目上の者にはちゃんと礼儀というものを持たなければならないのだ。しかしあなたは―――」
「誰を何と呼ぼうが私の勝手でしょ!生真面目も程が過ぎたら堅物よ」
激しさを増していく二人の口論は、静かな廊下に反響する。早足なだけに向かったときよりも早く戻って来た。
「あれ?」
奏はふと前方に光を見つけて歩みを止める。そっと近づいて確かめてみるとそこは中央第二書庫で、光はわずかに開いた隙間から漏れたものだった。いつのまにかもとの場所に戻ってきてしまっていたらしい。
「ランプはなかったはずじゃ・・・・・・」
「中から話し声が聞こえるぞ」
レオンの言葉に耳に意識を集中させてみると、男性二人が話しているということがわかった。そのうち一人は―――
「セイル君?」
もう少しだけ扉の隙間を広げて確認すれば、やはり一人はセイルだった。だが、もう一人はわからない。セイルの向かい側に座るその人は三十代半ばといったところか。
「あの方は自然王補佐であり、補佐のまとめ役でもあるバディア殿だ。たしか地の化身だったはず・・・」
「そうなんだぁ。でも、どうしてそんな人とセイル君がこんなところで?」
疑問を確かめようにも中の空気はけして軽いものではなく、むしろ深刻そうな雰囲気が漂っているためうかつに中にも入れない。せめて会話だけでも聞こえないかと耳をぐっと扉に寄せた。立ち聞きはよくないと誰か言っていたが、今は好奇心の方が先に出ていた。
「・・・・・・シア?」
合わさった背中越しに名前を呼んでみる。しかし、名前を呼ばれた本人から返答が返ってこない。ためしにもう一度呼んでみるが、結果は同じだった。
「眠っちゃったのか・・・」
思えばたしかに先ほどより、少しだけしっかりと体重を預けられている感じがする。
「氷のくせに温かい・・・か」
背中から伝わってくる体温は温かい。自分は彼女の言うとおり氷の化身ではあるが、温いのは嫌いではなく、むしろこういった温かさは好きだ。自分でも不思議だと思うが、いまだにそれがどうしてそうなるのかわからない。
「本当に・・・どうしてだろう」
今まで何度も考えてきたをまた頭の中で繰り返す。しかし繰り返しているうち、考えることに疲れを覚えた。今はそんなことどうでもいい・・・
ただ、背中から伝わってくるこの温かさを、大切で、尊くて、愛しいと、そう思った・・・
わかっていたはずだ、ずっと前から・・・
でも、いつからか、わかりたくなくなって・・・
「 」
今、何と言った・・・・・・?
自然王補佐のまとめ役バディアが口にした言葉に、奏は息を呑んだ。同時に自分の耳を疑い、自分の意識すら疑ったが、現実だという現実は変えようがなかった。
驚きにひたすら目を見開いて、半分混乱状態に突入している思考を無理に落ち着かせようとする。ふと隣を見てみれば、レオンも同様に目を見開いて言葉を失っていた。やはり夢でも間違いでもない現実。
「どういうことよ、それ・・・・・・?」
何度後悔したことか・・・
何度祈ったことが・・・
いくら考えても、何も変わることはなく・・・
ぐちゃぐちゃになった思考の中にいつも残る、確かなものがひとつ・・・
これは、君が教えてくれたこと・・・
初めて知った尊くて大切な・・・
だから、大事にしたい今という時間・・・
ただ傍に・・・・・・
初めて愛しいという想いを教えてくれた君だから・・・・・・
シア・・・・・・
『やはり変えられないのですね・・・バディア殿』
『ああ、カシルの魂は二ヶ月と二十七日で・・・消える』